2020年08月25日

私的名馬列伝 第三十四話 パントレセレブル

★はじめに

 パントレセレブルは、私の海外競馬に対する注目度を俄然高めてくれた、思い入れの深い名馬です。
 だから列伝でも取り上げたい馬ではありましたが、いかんせん素材として軽い、という面がありまして、出すタイミングを逸していました。
 単純にこの場合の軽さとは、走ったレース数が少なく、映像も少なく、ラップもないので、私らしい視座での記事になりにくい、という意味です。
 ただ、今週は記事枠に余裕があり、でも長い記事を書けるほどの時間の余裕がなかったので、丁度いいかな、と思って取り上げました。ですので、普段の列伝より質量双方で物足りない内容になってしまうのはご容赦ください。

 生涯通算成績は7戦5勝になります。(成績表⇒https://ahonoora.com/peintre_celebre.html
 レース映像も2歳戦のものは見当たらず、3歳になってからのレースにしても、フルで入っているものはやたらと不鮮明だったりで、そのあたりも記事として取り上げるのを躊躇していた理由の一端ではあります。

 なので映像としては、この3歳時の5戦が収録されているダイジェスト版をご覧ください。


 一応この馬の最大の見せ場である、凱旋門賞圧勝のレースだけはフルで見る事が出来ます。
 では、色々とざっくりになりますが、1990年代最強のフランス馬、と呼ばれたこの馬の蹄跡を追いかけていきましょう。


★デビュー~2歳シーズン終了まで <ダイヤの原石はマイルで花開かず>

 パントレセレブルは父ヌレイエフ、母父アリダーという血統背景になっています。
 ヌレイエフは言わずと知れた大種牡馬ですが、欧州においての産駒の活躍は、大半がマイル戦、長くても10F戦に集中していました。
 そのイメージもあってか、パントレセレブルも、デビュー戦となった夏のドーヴィルでは、8Fのレースでそのキャリアをスタートさせています。

 鞍上は日本でもお馴染みのペリエJが、デビューから引退まで全てのレースで手綱を握りました。
 調教師は、四半世紀が過ぎようとしている今でもフランスのトップトレーナーであるファーブル師です。
 トップジョッキーとトップトレーナーの組み合わせ、血統背景も抜群となれば、当然デビューから人気していたようですね。

 そのデビュー戦は快勝し、2戦目に選択したのが、9月のロンシャンのマイルGⅢ・シェーヌ賞でした。
 このレースは映像を見せられていないので、過去記事からの伝聞にはなってしまいますが、先行して好位につけたものの、直線伸び切れずに3着と、生涯で唯一連対を外す結果になっています。
 上位2頭はその後の2歳戦でもそれなりの結果を出したようなので、この時点では完成度が足りなかったのと、シンプルにこの馬にとっては距離が足りなかった、という事になるのでしょう。

 陣営もそのあたりは感じていたのか、3歳シーズンは最初から仏ダービー目標のローテーションが組み立てられたようです。
 フランス競馬における3歳戦の特色のひとつとして、三冠、という概念が非常に早い段階で形骸化している事が挙げられます。
 もちろん三冠発祥のイギリスでもその傾向は顕著ですが、それでも未だに、マイルの2000ギニーと12Fの英ダービーを連勝する二冠馬はそれなりに排出されています。

 対して、フランス競馬においては、2000ギニーとダービーは、少なくとも1970年代以降の近代競馬では、全く別の路線、として扱われてきました。
 実際にざっくり仏ダービー馬を歴代遡っていっても、2400m時代に2000ギニーに出走していた馬は全くと言っていいほどいません。
 2005年から仏ダービーが2100mに短縮されて、それ以来はギニーとの二冠馬もちょくちょく出るようにはなったのですが、一方でその勝ち馬が秋の12F路線で勝ち切る、というシーンも見られなくなりました。

 いわば、いい意味でも悪い意味でも距離適性に対する診断がシビアで、割り切ったレース選択が為される事が多い、という事ですね。
 パントレセレブルも、2戦目の負け方で、血統イメージとは裏腹にマイルは短い、となれば、スパッとその路線に未練を見せないレース選択をしているのが印象的です。


★グレフュール賞~パリ大賞 <真価発現、不屈なる優等生の開眼>

陣営がダービーの前哨戦として選んだのは、ロンシャン2100mで行われるGⅡ・グレフュール賞でした。
 ただ、すぐそこに2000ギニーがあるのに、この血統の馬が敢えてダービー路線に舵を切ったという選択は、この時点では世間に半信半疑で受け止められていたようです。
 その証左として、この馬が生涯で唯一、1番人気で走っていないレースにもなっていますね。

 しかしいざレースになれば、陣営の相馬眼が正しい事があっさりと証明されました。
 レースは内枠からいいスタートを決めて、先団のインでゆったり構えると、直線は先に抜け出したアスタラバドを楽に内から捕まえて、2馬身差をつけて快勝したのです。
 アスタラバドはこの後仏ダービーでも3着、秋にはジャパンカップに来日して6着に入り、翌年にはガネー賞も制しているので、決して弱い馬ではありません。
 それに対して、格の違いを見せつける走りでの快勝は、やはりこの馬の適性が長い距離にある事を証明しているとも言えるのではないでしょうか。

 続く仏ダービーでは、更なる距離延長を不安視されつつも、それでも前走のパフォーマンスを是として、1番人気に支持されての出走となりました。
 このレースでも内枠を引き、道中は3列目のインでスムーズに流れに乗っていきます。
 直線ではやや前の馬を捌くのに手間取り、先に外からスパートしたアスタラバドが一旦完全に抜け出します。
 けれど残り200mで進路がクリアになると、そこから目の覚めるような鋭い末脚を繰り出して、あっという間に前を交わして勝利を手中に収めたのです。
 これがペリエJにとっても、ファーブル調教師にとっても、悲願の仏ダービー初制覇でした。

 ただ、勝ち時計の2,29,6は、良馬場開催としては平凡な部類です。
 おそらくスローペースからの後半特化勝負で、アスタラバドがああいう出し抜き方をしているところからも、仕掛け自体もそんなに早くはないレースだったろう、と見当はつけられます。
 なので、その流れでかなり待たされ、それでも前がクリアになって一気に動けるその機動力と瞬発力はやはり非凡、と見るべきでしょう。
 後にペリエJが語るには、とにかく鞍上の指示に従順で、それでいて反応は鋭く、最高に乗りやすい馬だったようです。このレースではそういう、馬の器用さと底力のハイブリットで勝ち切った一戦と見做せるのではないでしょうか。

 次の一戦は、愛ダービーではなく、地元のパリ大賞が選ばれました。
 話は少し逸れますが、このパリ大賞、というレースも、地味に位置づけが難しいレースではあります。

 古い時代は3000~3100mで施行されていて、おそらくこれは英セントレジャーに範を取り、三冠目の位置づけのレースだったのだと思われます。
 ただマイル⇒12F⇒15Fを、5~7月の間に走り切るのはかなり過酷で、実際にかなり古い時代までさかのぼっても、そんなローテーションを踏んでいる馬は見当たりません。
 上でも触れたように、フランスはある程度早い段階でオールマイティーの三冠馬、という幻想の軛から逃れ、距離適性を厳正に意識してきた歴史があるように感じます。

 実際、仏ダービーとパリ大賞、に限っても、この2レースを連勝したのは1965年のリライアンスくらいです。
 ちなみにこの馬は、歴史的名レースと称される同年の凱旋門賞で、シーバードの6馬身差2着になった、悲運の歴史的名馬でもあります。
 つまりは、それくらい図抜けた力がないと、距離の壁を超えて勝つのが難しいという意識はあったのではないでしょうか。

 そしてその意識と、近代競馬のスピード化によって、70年代以降はパリ大賞の勝ち馬から、歴史に名を刻むほどの名馬はほとんど輩出されなくなります。
 それはレース自体の歴史的価値の危機でもあり、その為1987年から、パリ大賞は10Fのレースとして生まれ変わりました。
 意図としては、ギニーの勝ち馬とダービーの勝ち馬が、中間の距離で雌雄を決する、という所にあったのかもですが、このレースは開催時期も良くないのか、やはりそこまで強い馬が集まっていません。
 実際強いギニー馬は欧州を転戦してのマイル路線、ダービー馬も愛ダービーからの12F路線が確立されているので、優先順位が低くなってしまうのでしょう。

 ちなみに仏ダービーが2100mに短縮された年に、今度は2400m戦になっています。
 それでも、ギニーから距離を伸ばしつつ3戦、というローテを組む陣営はほぼ絶無で、むしろダービーが中距離路線の上限に組み込まれた、という形になっているでしょうか。
 結局今も昔も、パリ大賞はどちらかと言えばクラシック本線に間に合わなかった晩成ステイヤーのステップ、という微妙な位置づけから変化がないイメージですね。
 ちなみに今年はコロナの影響で、ニエル賞の代わりに凱旋門賞のステップとして実施されるようなので、久し振りに仏ダービー組の参戦はあるかもですけど、ミシュリフはこの前もギヨームドルナード賞を使ったように、10F路線を進む公算が高そうなんですよねぇ。。。

 閑話休題、その視座でも、パントレセレブルが王道と言える愛ダービーではなく、このレースを選んだのは結構意外性がありますね。
 この時点で海外遠征をしたくない意図があったのか、敢えて10Fのこのレースを選んだ理由が謎ではあります。馬主さんが高齢だった故に、海外のレースに観戦に行くのが難しかったとかもありそうですが。

 ともあれ、ここは頭数も揃わず、ライバルもダービーで鎧袖一触した馬ばかりではありました。
 ペースメーカーも配して万全の態勢を敷いた中、馬場は不良とはじめて渋馬場を経験する事になります。
 しかしそれを特別苦にする感じはなく、道中3番手あたりから直線スムーズに外に持ち出し、ほぼ馬なりで楽に突き抜けてのGⅠ連勝を飾りました。
 とはいえやはり、良馬場の時ほど鋭い反応、という感じではなく、そこは血統的にも、軽い、スピードの生きる馬場の方が強かった、という見立ては出来ますね。
 流石にこのレースは相手が軽すぎたので、そのあたりの見極めがきちんと出来ないのが残念なところです。


★ニエル賞~凱旋門賞 <王者故の不覚、鮮烈すぎる捲土重来>

 パントレセレブルの秋の最大目標は、当然ながら凱旋門賞となります。
 そのステップレースとして陣営が選んだのは王道のニエル賞で、ここも相手関係は貧弱、ただ貰いのレースと思われました。

 しかし、内枠からスタートしたパントレセレブルは、王者故に道中今までにないほどの徹底マークを受けます。
 この執拗なまでのブロック戦術は、他の馬も含めての別陣営との確執が一因ともいわれていますが、ともあれ直線を向いても、パントレセレブルの前には中々スペースが出来ません。
 レース自体は超スローペースからの後半特化だったようですが、先行していた馬が楽々と脚を伸ばしていく中、この馬は残り200mまで全く動けず、そこから一頭分のインの隙間をすり抜けてくる、という苦しい競馬を強いられます。

 残り100mでも、まだ前と4馬身近くの差があり、これは絶望的……というところから、それでもパントレセレブルは、不屈の闘志で前を鋭く追いかけていきます。
 馬群の隙間を縫うように進みながら、凄まじい脚で最後追い詰めてきますが、それでもあと一歩及ばず、クビ差でジャイアントキリングを許す結果となってしまいました。

 ただし、このレースに関しては、当時でも明らかに負けて強し、という評価が圧倒的だったようです。
 実際に嫌がらせレベルでのブロックを受け続け、レースの上がりも相当に速い中、あれだけ追い出しが遅れたのに、この馬自身は上がり4Fで44,4というえげつない脚を使っていたらしいです。
 つまり軽い馬場ならば、後半特化でも相当に質量を高めてくる、というのを改めて実証するレースだったと言えるでしょう。

 パリ大賞は不良馬場なのでやや参考外ですが、仏ダービー・ニエル賞と、スローからの後半勝負では抜群に強く、適性的にも隙がない事は既に見えてきました。
 では、速い流れではどうなのか?
 2歳時にマイル戦でイマイチだったように、追走が問われてもその後半の豪脚を繰り出せるのか?
 その答えは、凱旋門賞でこれ以上ないほどに示される事となります。

 この年の凱旋門賞は、間違いなく1990年代で最高レベルのメンバーが揃っていたと思います。
 特に古馬勢の層が厚く、前年の覇者エリシオ、キングジョージの覇者スウェイン、それらの2着馬で、直前愛チャンピオンSを制しているピルサドスキーと、歴史的、と評してよいレベルの実績を挙げた馬が3頭も顔を並べていました。
 3歳勢で、この馬以外にめぼしいのはドイツの最強牝馬たるボルジアくらいではありましたが、それでも90年代前半に、ややステータスが下がり気味だった凱旋門賞のメンバーレベルを、この年とモンジューの年が一気に押し上げているのは確かでしょう。

 この錚々たる顔ぶれの中、前哨戦で負けていても、それでもパントレセレブルは1番人気に支持されたのですから、それだけ潜在能力が評価されていたことがわかります。
 そしてファンの見立ては数字以上に正しかった事が、レースでも示される事になります。

 このレースで逃げたのは、前年も逃げ切り勝ちを決めているエリシオでした。
 パントレセレブルはまたまた内枠から(その点は恵まれていた要素ではありますね)、いいスタートを切って先団の後ろくらいにいたものの、多頭数の競馬の中で揉まれ、外から押し上げる馬も多く、少しずつポジションを下げていきます。
 全体としてかなり速い流れにもなり、道中は結局中団よりやや後ろのインで、じっと我慢する形になりました。

 しかし直線を向いて、前の脚色が衰えたところで、スルッと馬群を捌いてきたパントレセレブルは、今までに見ないほどの素晴らしい豪脚を繰り出します。
 あっという間に先頭列に並びかけた、と思ったらその刹那もう交わし切り、そこからは差を開く一方のワンサイドゲームでした。
 結局外から追い込んだパントレセレブルに5馬身もの大差をつけて、2,24,6という驚異的なレコードも樹立しての勝利となったのです。

 このレースは本当に、正確なラップが見てみたい一戦ですね。
 逃げたエリシオも3着とは僅差の6着で踏ん張っていますから、決して暴走ペース、という程ではなかったと思います。
 ただそれでも全体でかなり流れていたのは確かで、結果的にやや後ろから、コーナーもタイトに内目を通せたパントレセレブルに展開が噛み合ったのも確かでしょう。
 でも一方で、どの位置でも一定追走力が問われつつ、そこからの後半要素、という視座では、斤量差を加味しても図抜けていたのは間違いありません。
 時計勝負でも強かったのは間違いなく、少なくとも10F戦でもトップクラス相手に勝ち負け出来るスピードがあったのは確実でしょうね。

 実際、2着のピルサドスキーは、欧州においてはベストは10F、という馬ではあったはずです。
 この後中1週で英チャンピオンSを制し、返す刀でジャパンカップも、内からエアグルーヴを捻じ伏せるすさまじい強さで勝ち切った馬なのですが、時計の出る馬場なら2400mもこなせる、というのが正確な評価になるでしょう。

 その意味で、やはりこの馬を5馬身千切ったというのは驚異的なパフォーマンスではあります。
 今は流石に少し落ち着いていますが、レース直後は歴代最高のパフォーマンス!くらいの熱狂ぶりでしたし、私もこの馬のレースぶりを見て、それまでより確実に海外競馬に対する関心度が高まりました。
 いわば私の競馬史におけるカイロス的な馬であり、今見ても全く色褪せないインパクトのある走りなのは間違いないですね。

 パントレセレブルの3歳シーズンはこれでラストとなり、4歳になっても現役続行を予定されていました。
 しかし復帰戦となる予定だったガネー賞の直前に屈腱炎を発症し、惜しまれつつ現役を退く事になったのです。


★終わりに

 現役生活が短かった事もあり、この馬の絶対能力や適性に対する歴史的評価は悩ましいところがあります。
 見ての通り12Fの競馬ではスローでもハイでも抜群に強く、軽い馬場により適性が高かった、というのはほぼ間違いないでしょう。
 ただ一度も海外遠征をしなかったですし、タフな馬場で一線級とは戦っていないので、いわば適性外のところでどのくらい踏ん張れたのか?という意味では未知数のまま引退してしまったと言えますね。
 ただレースを見ていても、競走馬としてのセンスも図抜けていて、それでいて絶対能力も非常に高かったので、古馬シーズンも走っていれば、10~12F路線は総なめにしていたのではないか、と勝手に夢想しています。

 しかし、その希有な能力ほどは、種牡馬としての成功を収める事は出来ませんでしたね。
 現状ほぼ後継種牡馬はおらず、もっとも実績を挙げたのが牝馬のプライドですが、この馬の産駒もあまり走っているのを耳にしません。その点も含めて評価が難しい、というのはあるでしょう。

 余談ですが、この馬以降に、パリ大賞勝ちから凱旋門賞を制した馬が2頭出ています。
 その内の1頭はレイルリンク、と書けば、多くの競馬ファンは悔しい記憶を想起する事になるのではないでしょうか。そう、あのディープインパクトが3着入線、のち失格となった年の凱旋門賞馬ですね。
 そしてその時2着に食い込んだのが、パントレセレブル産駒の出世頭であるプライドというあたり、歴史は面白い因果を紡ぐものです。

 ちなみにもう1頭はバゴで、この馬も日本で種牡馬入り、この春宝塚記念で衝撃のレースを披露したクロノジェネシスの父となり、日本競馬との関係性が深い馬です。
 パントレセレブルも1年だけ日本にリースされたはずですが、目立った活躍馬は出せていません。
 でもひょっとすると、もう少し長く繋養されていれば、面白い馬を出した可能性はあったかもしれませんね。

 ともあれ、競馬史という観点で見ると、文字通り超新星の爆発めいた、一瞬の凄まじい輝きをターフを残していった馬、とは言えるでしょう。
 改めてその走りは目に焼き付けておきたいですし、やはり後世に語り継がれるべきレベルの馬だと思うので、短めでもこうして列伝として執筆出来て気持ちがスッキリとしましたね。


posted by clover at 16:26| Comment(5) | 名馬列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れ様です。
パントレセレブル懐かしいですね。自分も当時海外はまだ今ほど熱心だったわけじゃなくジャパンカップで知る程度でしたが凱旋門賞であんなタイム出せるんや!なんてすごい馬、海外の超一流馬はやっぱ違うと驚愕させられた記憶があります。
名馬列伝はどの名馬もドラマがほんといいですよね。
次回作も期待してます。
Posted by ブソン at 2020年08月25日 17:37
>ブソン様

 いつもコメントありがとうございますー。

 パントレセレブルは、今見ても本当に凄い馬だったなぁ、と思いますね。
 この時期はまだ、ジャパンカップに欧州12F路線の強豪もこぞって参加してくれていました。
 その中で、前年のエリシオが凱旋門賞勝ちから3着とやや物足りない結果だった事もあり、凱旋門賞で5馬身も差をつけられたピルサドスキーは大したことない、なんて当時はシンプルに思っていたのですよね。
 そうしたらあのぐうの音も出ない結果で、遡及的にじゃあパントレセレブルって化け物的に強かったんだ、時計もえげつなかったもんなぁ、と刷り込まれた感じです。

 欧州の一流馬は確かにドラマ性も多々あって面白いのですけど、特にこの時代くらいからは、強い馬はさっさと引退してしまうので、戦績的に厚みがない、というのはあるのですよね。
 映像が入手しにくいという面もあって、私の列伝では取り上げにくい面もあるのですけど、色々思い出や与太話と紐づけながらつらつら書いていくのもこれはこれでいいのかな、と思います。
 基本的には国内の馬と交互に書いていますので、次はクロフネかなーと思っています。いつ書けるかは微妙ですけど。来週も記事枠はあるけど、別口で鬼のように忙しい予定なんですよねぇ……。
Posted by clover at 2020年08月26日 04:07
お疲れ様です。
26日以降からの記事が広告?画面に飛んでしまい見られません。。
いつもは記事前に出てる広告に×ボタンがあるので消してから見てるんですが、広告だけのページに飛んでしまいブラウザバックしても目次に戻ってしまいます。
こちらの問題ですかね?(^^;
Posted by のぶ at 2020年08月29日 03:05
こちらにコメントしたら何故か記事が見れるようになりました(^^;お騒がせすいませんm(_ _)m
Posted by のぶ at 2020年08月29日 03:08
>のぶ様

 いつもコメントありがとうございますー。
 色々ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

 それってスマホで見た時の話ですよね?
 私はスマホをまともに使いこなせない化石人間なので、ほとんど自分のスマホで自分のブログ見た事ないんですよね……。
 PC版は広告設定出ないようにしてるつもりなのですけど、或いはそっちはそっちで独自に設定が必要なのかもしれません。
 今度時間があるときにちょっと試してみます。
Posted by clover at 2020年08月29日 03:31
コメントを書く
コチラをクリックしてください