2020年04月30日

私的名馬列伝 第三十話 ビワハヤヒデ

★はじめに

 牛歩のような足取りですが、ようやくこの名馬列伝も三十頭目まで辿り着けましたね。
 今日紹介するのは、1993年のクラシックシーズンで3強の一角を担い、そこから現役最強馬まで登り詰めていった異色の名馬・ビワハヤヒデです。

 この馬の生涯通算成績は16戦10勝https://db.netkeiba.com/horse/1990103355/、故障の為現役最後のレースとなった秋の天皇賞に至るまで、15戦連続連対という非常に堅実なもので、GⅠも3勝しているのですが、その実績の割に、世評に上がる事が少ない馬ではあると思います。
 それはこの年の3強の他2頭にドラマ性が強かったのに対して、全てにおいて堅実な優等生ぶりが目立たず、また要所要所でヒール的な扱いであった事と、更にはひとつ下の半弟に、ナリタブライアンという希代の傑物がいた事も影響しているでしょう。

 いつもの事ですが、私の列伝では、そういうこの馬には直接関係しない外側のドラマの部分は最低限に留めます。
 あくまでもこの馬のレースでの実相、どういう強さを保持していたのか、何が苦手だったのか、などを浮き彫りにさせて、その強さを再検証するのがメインテーマになりますので、愚直で無味乾燥ではありますがお付き合いください。
 ちなみに馬齢表記は、当時のものをそのまま使っていますので、今とは1歳ズレています。


★新馬戦~朝日杯3歳S <掴みどころのない強さ>

 ビワハヤヒデは、父シャルード、母パシフィカスという血統の持ち込み馬で、1992年の9月に浜田厩舎からデビューしました。
 父はグレイソヴリン系のカロで、フォルティノからの系譜は日本競馬史においてはシービークロス⇒タマモクロスというサイアーラインもありましたが、近代の日本競馬ではほぼ完全に消滅してしまった、この当時でも主流では決してない血統でした。
 シャルード自身も現役時代にGⅠ勝ちはない地味な馬で、パシフィカスは父がノーザンダンサー、母父ダマスカスと古式ゆかしい正統派アメリカ血統の持ち主でしたが、少なくとも日本競馬においては、走らせてみないとわからない部分は大きかったと思います。

 また浜田厩舎も1984年の開業から、足掛け25年で350勝あまりなので、お世辞にも名伯楽とは言えず、携わった馬でGⅠを勝利したのはビワハヤヒデ以外にはビワハイジとファレノプシスだけであり、この時代でもトップトレーナーではなかったので、色々な意味で地味な馬だったのは間違いないでしょう。
 ただデビュー前から調教では評判になっていたようですし、葦毛の馬体と、明らかに他の馬より大きな顔はインパクトがあって、そういう諸々の要素が相俟ってのデビュー戦は2番人気でした。


 4番枠からのスタートになったビワハヤヒデは、互角の出足から道中は中団やや外目を追走、4コーナーで外から4頭分外を回して進出していくと、直線はあっさり抜け出し、そのまま後続を突き放しての大差勝ち、インパクト充分のデビュー戦となりました。
 レースラップは50,0-48,3=1,38,3で、ややスローからの後半は12秒そこそこを踏み続ける持久力勝負、という色合いです。

 新馬らしく時計が遅い、と思うかもですが、この日の阪神は良馬場でもすごく時計が掛かっており、10Rの900万下、今で言う2勝クラスのマイル戦で、48,0-49,7=1,37,7しか出ていないのですね。
 ラップバランスから補正すると、この2勝クラスと同レベルの走りはしているのと同時に、ラストまで12,0-12,1とラップを落とさず突き抜けていったスタミナ・持久力性能はこの当時から図抜けていたのがわかります。
 大差で退けた3着馬が、後々この馬が勝つ宝塚記念でも3着したダンシングサーパスであったように、メンバーレベルもそこまで低くなかった中でのこの勝ちっぷりは、俄然この馬を注目の的としたのです。

 続くもみじSですが、このレースだけはどうしても映像が見つけられませんでした。
 なので数字を見ての判断になりますが、まずこの日はメインのOP特別・オパールSが34,2-34,4=1,08,6で、ある程度は時計が出る馬場だったとは思います。
 その中でレースラップが46,4-47,9=1,34,3のレコード勝ち、ハイペースを外枠から3番手で追走して、ラストは楽に後続を振り切っています。
 ここも3着が後にJCを勝つマーベラスクラウンですし、軽い馬場で追走力の適性をしっかり見せた事、そこから一足を使いつつ、改めて持久力の高さも発揮しての勝利だったと思えますね。

・デイリー杯3歳S https://www.youtube.com/watch?v=79h713LM_2U

 もみじSで、スピード競馬の対応力にも自信を深めたか、続くレースは距離を短縮して、1400mのデイリー杯3歳Sになりました。
 このレースは8番枠から少し出負け気味のスタート、距離が短くなった分あまり前には行けずに、道中もソコソコ促しつつの追走になりました。
 4コーナーからインに潜り込み、直線は少し前が壁になるシーンもあったものの、残り200mで進路を確保するとしっかり伸びての完勝、デビュー3連勝での重賞初制覇を達成したのです。

 レースラップは34,6-11,5-35,6=1,21,7と、基本的には淀みのない前傾一貫消耗戦、という流れですが、ラストが11,9-12,0-11,7と最後だけ加速しています。
 このレースでのビワハヤヒデは、400-200m地点で内の2頭の間を割ろうとして果たせず少し待たされていたので、その分ラスト1Fに脚が溜まっていたと思えますし、そこでそれなりに加速を踏んできたというのは強い内容ですね。
 ただしこのレースでも、後半に速いラップは求められておらず、では少なからずそこが問われた時にどうなるのか?というのが、次のレースからの課題になっていきます。


 デビューから3戦、危なげないレースで勝ち上がってきたビワハヤヒデは、初東上となるGⅠ朝日杯の舞台でも圧倒的な人気に支持されます。
 ここでは7番枠からややスタートで後手、そこからレース中盤までにじわっとリカバーして3番手の外につけて、4コーナーで前に並びかける横綱相撲を展開しますが、その後ろでジッとマークしていたのがエルウェーウィンでした。
 直線入り口の加速で先にトップスピードに乗り、一気に先頭に立ったエルウェーウィンに対し、ビワハヤヒデも内からしぶとく抵抗するものの、勢いの差を最後まで覆せずに、ハナ差で悔しい初の敗戦を喫する事になったのです。

 このレースのラップは、47,5-48,0=1,35,5と、平均寄りのややハイペースになっています。
 より細かく見ると、35,5-24,4-35,6なので中盤が緩い流れ、特に800-600m地点が12,4とかなり遅くなっています。
 この流れの中、ビワハヤヒデはまだペースが落ち切っていない1200-800m地点で中団から先団まで押し上げ、そこで一旦ブレーキして前の緩みに合わせ、そこから再加速、という形になっています。
 終盤は12,1-11,7-11,8なので、そこまではっきり切れ味の質や加速性能が求められたわけでもないですが、全体の流れの中で最低限の追走力から一脚、という総合力勝負になっているのもあり、この中ではより切れを発揮できる馬もいた、というイメージにはなります。

 結果的に最速地点の11,7のところで、エルウェーウィンはビワハヤヒデと1馬身半位の差を一気に詰め切っていて、ここで11,4くらいは踏んできている筈なので、高いレベルで見ると要所での切れ負け、という見立てになるでしょう。
 この時点での岸Jはデビュー5年目、既にダイタクヘリオスとのコンビでGⅠ勝ちもあり、乗れる若手としての注目株でしたが、このレースに関しては圧倒的な人気の中でやや焦りがあったか、少しバランスを欠いた騎乗にはなっていますね。
 その隙を、ベテランの南井Jに上手く突かれた格好ですし、このエルウェーウィンも、前走まで岸Jとのコンビで2連勝してきた馬だけに、手放した馬にやられた悔しさもひとしお、ではあったと思います。

 馬個体で言えば、やはりはじめての遠征と、距離延長、そして今までの中ではスロー寄りの流れで噛み合わなかった部分はあったのでしょう。
 ここまで見ていても、非常に操縦性が良く、追えばしっかり伸びて強い馬、ではあるのですが、それでもこの敗戦が、どこか頼りなさを感じさせるものでもあり、果たして来年、距離が伸びて強いのかどうかも含めて、ややつかみどころのない馬、というイメージがこの時点ではピッタリくる表現ではないでしょうか。


★共同通信杯~日本ダービー <ドラマの陰で臥薪嘗胆>


 ビワハヤヒデの4歳シーズン初戦は、ダービーに向けて東京競馬場を経験しておく、という意図があったのでしょう、2月の共同通信杯からのスタートになります。
 当然ながら圧倒的人気に支持されたビワハヤヒデは1番枠からいいスタートを決めますが、距離を意識してか道中は少し下げて先団の後ろくらい、直線入り口でも前と3馬身くらいの位置で、馬群を縫って進出してきます。
 しかし前々から先に抜け出したマイネルリマークがしぶとく、最後一完歩ずつ差を詰めるものの、頭だけ及ばず再び2着と惜敗してしまったのです。
 ちなみにこのレース、映像だけ見ると明らかに差し切っているように見えるのですけどねぇ。今の時代とカメラの位置や向きが違うのでしょうか。

 ともあれ、このレースのラップは35,7-37,5-35,5=1,48,7となっています。
 当日の府中はそこまで極端にタフな馬場、という感じでもない中で、中盤緩んでの後半勝負、仕掛けが遅くなっていて後半は12,4-11,5-11,6と、坂地点での加速性能とそこそこの切れ味が求められているレースです。

 基本的には前残りになりやすい展開なので、勝ち馬に上手く乗られた、というのはあるでしょうが、それにしてもこの馬の場合、坂の上り、加速地点であまり良さを見せられていません。
 ラスト1Fは2馬身くらいある差をジリジリつめていますから、11,3くらいのラスト最速で走れている感じなのですけど、後々の戦績踏まえての相手関係としてもここは貧弱でしたし、最序盤のポジショニングの消極性もやや物足りなかった部分です。
 勿論休み明けで万全ではなかったにせよ詰めの甘い競馬でしたし、この騎乗に納得いかなかったのか、このレースで岸Jは降ろされ、次のレースから関東の第一人者、ベテランの岡部Jに手綱が委ねられる事になったのです。


 現代ならば、これだけの実績馬なら共同通信杯から本番直行、となるのでしょうが、まだこの時代はトライアルの権威は高く、ビワハヤヒデも本番前の足慣らし、とばかりに、強敵を避けて若葉Sに出走してきました。
 岡部Jとの手合わせ、という面もあったであろうこのレース、スタートはイマイチでしたが外枠なので自分のリズムで淡々と押し上げ、3コーナーでは番手外の大名マークという、その後のこの馬をイメージさせる必勝パターンに持ち込みます。
 直線外から押し上げてきたケントニーオーに一瞬肉薄されるものの、最後の坂でグイっと突き放し、2馬身差の完勝で惜敗続きに終止符を打ったのです。

 このレースのラップは35,9-49,2-35,8=2,00,9で、ハーフでも60,5-60,4なので綺麗な平均ペースです。
 この日の芝はそこまで軽くなかったので、この時期の4歳馬でこの時計は優秀ですし、目を引くのはラストの12,4-12,1-11,3という推移ですね。
 ほかのレースを見てもこの日はラスト200m最速が多いので、直線追い風でも吹いていたのかな、と感じますけれど、それを差し引いても坂地点で11,3というラップは優秀で、仕掛けをギリギリまで引き付けた分直線入り口では外の馬の方がスピードに乗っていましたけど、そこから格の違いを見せつける突き放しではあった、と言えるでしょう。

 また同時に、この距離で淡々と流れても自分の脚が使える、という強みもはっきり見せていて、距離適性に関してはこれで不安が払拭されたレースだろうと思います。
 最終的な戦績を見ても、ステイヤー色が強い馬ではあるわけで、むしろ1400mやマイルでもあれだけ強い、というのがこの馬の不思議さ、好走スポットの広さと精神的な安定感は感じますね。
 加えて、前走で坂加速が苦手なのか?と思わせたのも、ある程度ここで払拭しており、そうなると実のところ、単純にこの馬は左回りと、頓に府中直線の坂地点を上手く走るのが苦手だったのではないか?という帰結になります。
 そのあたりはいずれまた東京のレースで検証するとして、なんにせよ余力を残しつつ、勝ち癖をつけてクラシック本番に向かう、という意味でもいい試走だったのは間違いありませんね。


 この年のクラシックは後世から3強対決と評されますが、少なくともこのレースのオッズを見る限り、この時点での評価は2強対決だったのは間違いありません。
 すなわち、弥生賞を圧勝したウイニングチケットと、若葉Sを大楽勝したビワハヤヒデの一騎打ちで、弥生賞ではウイニングチケットに鎧袖一触だったナリタタイシンなどがその後に続く、という形ですね。
 しかし競馬の歴史上、2強は並び立たずがセオリー、このレースもそれを体現する内容となりました。

 ビワハヤヒデは大外18番からのスタート、ゲートはまずまずでしたが内から出していく馬もる中で、最序盤はややゆったり入って4~5番手、そこから向こう正面でじんわりと押し上げ、前にプレッシャーをかけていく、この馬らしい正攻法のレースを展開します。
 4コーナーでもまだ仕掛けは待っていて、外からウイニングチケットが押し上げてくるのに合わせて進出、ライバルを外に回すクレバーな進路取りを選択して直線、坂で食い下がるライバルを振り切り、栄光のゴールは目前でした。

 しかしそこに、一陣の風が襲い掛かります。
 若きスーパースター・武Jの駆るナリタタイシンが、最後の100mで猛然と追い込み、最後はビワハヤヒデをクビ差捕えて見せたのです。
 改めてきちんとこのレースのナリタタイシンのコース取りを見ると、凄まじく無駄なくタイトに、道中余分な脚を一切使わず立ち回っていて、コーナーからの進路取りも完璧、神がかったレースぶりだな、と思います。
 それに対し、外枠からずっと外々を回して、早め抜け出しのビワハヤヒデは王者の競馬、負けて強しではありましたが、最大のライバルを振り払った一瞬の気の緩みを突かれた、非常に勿体ない敗戦だったと言えるでしょう。

 レースラップは35,6-49,1-35,5=2,00,2となっています。
 ハーフだと60,5-59,7でややスローくらいのバランス、向こう正面からは淡々と12秒前後で流れているのですが、はっきりとした仕掛ポイントがなく、後半は11,9-11,8-11,8とレースラップでも加速したまま、という推移です。
 ちなみにひとつ前の3勝クラス相当の卯月Sが33,5-34,9=1,08,4という時計で接戦、というあたりからも、この時代なりにこの日はかなりの高速馬場だったと想定され、その中でややスローの団子になった事で、後半特化型の瞬発力が生きる形になったのではないかな、と見て取れます。

 持久力が一番の武器のビワハヤヒデとしては、この馬場では流れも仕掛けも遅かった、というイメージで、それは畢竟、ウイニングチケットというライバルを意識し過ぎて、自分のリズムでの仕掛けにはなっていなかった分、という考え方は出来ると思います。
 岡部Jのポジショニングのそつのなさは、今から振り返っても流石の一言ではあるのですが、岡部ライン、という言葉もあったように、ある程度常に有力馬で勝ち負けになる位置を確保できる分、馬それぞれの個性に合わせた仕掛けの意識などはそこまで洗練されていなかったのか?という印象を、このレースだけで言えば受けますね。
 同時に、普段着のレースをした結果、乾坤一擲の競馬をしたナリタタイシンに敗れた、という格好であり、そしてそれは、続く大一番のダービーでも繰り返される、堅実さが武器ゆえの悲劇ではありました。


 もっとも運の強い馬が勝つ――――日本ダービーにはそんな格言があります。
 けれどそれは、単純な運の良し悪しだけではなく、その運を味方につける為の特別ななにか、ダービーという大舞台での閃きを、失敗を恐れる事なく追求出来たか否か、そういう見方も出来るのではないでしょうか。

 1993年の日本ダービーは、今度こそ上位3頭の人気が拮抗する3強対決となりました。
 2強の時は両雄並び立たずになりやすい代わりに、3強の時はその3頭で順当に決まる事が多いのも競馬あるあるであり、ある意味ではその常套句をより決定的なものにしたのがこの年の牡馬クラシックだたかもしれません。文字通り、競馬史に燦然と残る名勝負と、歴史に残るドラマが繰り広げられたのです。

 ビワハヤヒデは7番ゲートからのスタートで、出足はまずまずながら、1コーナーまでの激しい先行争いは避けて、道中は6~7番手の馬群の中目と、普段よりは少し位置を下げてレースを進めていきます。
 3~4コーナー中間からじわっと進出していき、そのまま中目を通して直線を向くと、道中は自身より後ろにいたウイニングチケットが、経済コースを通してあっという間に先頭に踊り出ていて、それをやや内目に潜り込んで追いかけていく事になります。
 坂上では2馬身くらいの差があったのを、ラスト200mでジリジリと詰めていきますが、相手もしぶとく、最後の最後、半馬身及ばずにまたしても2着で、ダービー馬の栄冠も逃す事になってしまいました。

 レースラップは36,1-35,9-36,5-37,0=2,25,5で、この日の府中は良発表でしたが相当に時計が掛かっており、その中で全体としては淀みのないハイペースで展開しています。
 ただこれは単騎逃げ馬のもので、番手以降は平均~ややスローくらいのバランスだと思いますし、流れた分だけ本仕掛けもやや遅れています。
 レースラップでも12,4-12,0-12,6と坂地点最速ですし、ウイニングチケットがこの坂地点で一気に先頭に立っているあたりからも、後続はもう少し速いラップをここで求められていて、総合力と縦横のポジショニング、要所の加速力が明暗を分けたレースではあるかな、と見ています。

 ビワハヤヒデの場合、追走面に不安がない馬でありながら、距離不安と長い直線のイメージもあったのか、序盤のポジショニングが共同通信杯と同じようにやや消極的で、4コーナーもある程度安全策のやや外目を選択、しかしそこから坂加速地点であまり動けず、最後は詰めているものの、という負け方も共同通信杯と一緒です。
 勝ったウイニングチケットに対しては、明らかに坂地点で1~1,5馬身くらい出し抜かれていて、ここでの加速性能が明らかに最後の差を分けたと思いますし、せめてもう少し前受出来ていれば、というイメージも持てますね。

 逆にウイニングチケットは、ここまで基本的に外から捲る競馬をしてきたのを、ここではインに拘る勝負手を打ってきました。
 実際この馬の戦績とラップを見ても、弥生賞で強かったのはトライアルならではの、コーナーでもまだ緩いラップに乗じて、という面が強く、以前列伝を書いたアドマイヤムーン、或いは今年のサトノフラッグのように、タイトな流れの皐月賞で同じことをしても厳しい、本当の意味での持続力は持っていない、という評価になります。
 それを踏まえての最内強襲だった、と言えますし、それは間違いなく柴田Jの執念が手繰り寄せたもので、馬自身もラストは12,0-11,6-12,6と、一瞬のいい脚を遺憾なく発揮、この馬の持ちうるすべての武器を出し切った事でライバルを振り切れた、と考えていいと思います。

 このウイニングチケットが、柴田政人にダービーを勝たせるために生まれてきた馬、と称されているように、競走馬のスケールとしてこの馬はさほどではなかった、とは正直思っています。
 けれど、そういう馬がダービーの舞台でのみ、最大限の力を振り絞って勝つ、というシーンは枚挙にいとまがなく、近年でも有名なのはワンアンドオンリー、或いは今後の騎手成績や競争生活の結果次第ではあるにせよ、マカヒキやワグネリアンも、10年後くらいにそう呼ばれる可能性はあるでしょう。

 そこに共通するものは、ダービーの舞台で今までのスタイルを捨て、勝ちを手繰り寄せる為の最大限の勝負を仕掛けた、という事です。
 それに対し、厳しく言えば、ビワハヤヒデの陣営と岡部Jは、皐月賞の敗因、共同通信杯の敗因を精査せず、この馬の堅実さと自在性をやや過信して、ダービーでもいつも通りの競馬を展開してしまったのが敗因、と言えなくはないでしょうか。

 その後の競争生活を見ても、はっきり言えばこの時点でも、万全にポテンシャルを発揮する形を作れていれば、皐月もダービーも勝ったのはビワハヤヒデだった可能性は高いと個人的には感じます。
 無論秋以降の成長度・順調度の差もあったにせよ、この2レースはビワハヤヒデがやや力を出し切れず、そして皐月はナリタが、ダービーはウイニングが、100%以上の能力を発揮できる騎乗に導かれた故に、それが噛み合って僅かだけ先着されてしまった、と私は評価しておきたいですね。


★神戸新聞杯~有馬記念 <捲土重来、されど真の主役は遠く>

 春の二冠を取り損ねた――――そういう想いは陣営にも強くあったのでしょう。
 クラシックを好走するような名馬は、普通は夏場をリフレッシュ放牧に充てるものですが、この年のビワハヤヒデはそれをせず、夏の間もひたすら坂路で乗り込んで鍛え上げられます。
 普通の馬ならへこたれてしまうところですが、生来頑健で精神的にも安定しているビワハヤヒデはその試験をしっかりと乗り越え、そして秋の一冠だけは譲らない、という、やや遅ればせの強い信念の元、秋初戦の神戸新聞杯に出走してきます。


 このレースからメンコも外し、ニュー・ビワハヤヒデをアピールしての一戦でしたが、レースぶりもその後の大活躍を暗示させるような磐石の取り口でした。
 最内枠からいいスタート、ネーハイシーザーを行かせて番手外に切り替えると、そのまま軽快に飛ばすネーハイシーザーをしっかり追いかけていって、直線しぶとく粘る相手をきっちり競り落としての快勝でした。

 ラップが63,7-59,2=2,02,9で、この日の馬場は相当にタフで、古馬2勝クラスのマイル戦でも1,37,8という馬場なので、超スローバランスはともかく、後半の59,2は出色のラップだとは言えるでしょう。
 後半は11,9-11,8-11,7-11,7なので、コーナーから分散されて極端な切れは問われていないのも功を奏してはいますが、それでもこの馬場でラストまで全くラップを落とさず、というのはやはり強い競馬でしたね。
 同時に、マイペースで逃げられたとはいえ、本質的には軽い馬場向きのネーハイシーザーがここまで踏んばれたというのは、翌年の活躍を暗示している内容であったとも言えます。


 そして迎えた菊花賞も、春の3強がそろい踏みしたものの、しかしオッズはまた2強対決に舞い戻っていました。
 というのも、ダービーの後何故か当時は夏の2000mGⅡだった高松宮杯を使い、そのせいもあるのか秋の立ち上げが遅れて、ナリタタイシンがぶっつけのローテーションになってしまったからです。
 菊花賞にぶっつけなど、フィエールマンが勝つまでは近年でさえまず有り得ない、とされていたローテーションではあり、当時ならそれは尚更でしょう。
 ウイニングチケットは京都新聞杯を勝ち切ったものの、手薄なメンバー相手に危なっかしい競馬だった事もあり、ここはビワハヤヒデがはじめて三冠レースで一番人気に支持される事になります。

 そしてレースでは、その支持が正しかった事がこれ以上ないほど明確に示されます。
 7番枠から、最初のスタンド前で定位置の2~3番手外目まで押し上げたビワハヤヒデは、坂の下りから早めに動いていって直線入り口で堂々先頭、そのまま一切の仮借なく後続を突き放し、5馬身差の圧勝で春の鬱憤を晴らす見事な初GⅠタイトル奪取となったのです。
 一方のウイニングチケットは、ビワハヤヒデの真後ろからピッタリマークする作戦に出たものの、直線やや狭くなるところもあり3着敗退、ここでも二強並び立たずを証明する結果となりました。

 レースラップは61,6-64,1-59,0=3,04,7で、前年のライスシャワーのレコードをスローバランスで0,4秒更新する堂々たるものでしたね。
 まだ京都の改装前ではありますが、近年の淀長距離の典型パターンが色濃く出ている一戦でもあり、中盤緩んでからの後半4F勝負、それなりに速い上がりを問われる形で、基本的には後ろからは苦しいレースではあったでしょう。

 ビワハヤヒデが圧勝できた要因は、春二冠と違いバッチリ位置取りと展開が噛み合ったのもありますし、後半は12,0-11,5-11,5-11,6と、坂の下りから加速していっての4F戦で、全く最後まで落としていないその持久力のえげつなさもあって、でしょう。
 この翌年に京都は改装に入ったので、ビワハヤヒデがこのコースを走ったのはこれが最後だったのですけれど、2歳時の2戦も含めて、実はこの馬が一番ポテンシャルを発揮しやすかったのは、下り坂から自動的に4F戦になりやすい京都コースだったかもしれませんね。


 菊花賞の圧勝で、文句なしに世代最強に躍り出たビワハヤヒデは、そのまま現役最強の座も襲名すべく、有馬記念に駒を進めてきました。
 普段から慎重居士で、ギリギリまで大レースでの乗り馬を決めない事で有名だった岡部Jが、他に有力な乗り馬候補がいるにもかかわらず、菊花賞のすぐ後に有馬はこの馬に乗る、と宣言したのも有名な話で、当代一流の名手にとっても、あの菊花賞の強さは鮮烈だったのでしょう。

 この年の有馬記念は、GⅠ馬が9頭も集う超豪華メンバーでしたし、その中で13番という不利な外枠を引いてしまったのですが、それでもビワハヤヒデは一番人気に支持されます。
 スタートはまずまずで、そこからいつものようにしっかりポジションを取りに行って道中は3~4番手、向こう正面からじわっと動いていって3~4コーナー中間ではもう先頭に並びかける積極策を展開し、直線も後続を突き放して完勝か、と思わせます。

 しかししかし、そこに飛んできたのは、一年ぶりの出走となった二冠馬・トウカイテイオーでした。
 坂上で粘るビワハヤヒデでしたが、トウカイテイオーの勢いは止まらず、ラスト50mで交わされてまたまた2着、どうしてもここ一番で千両役者に一世一代の見せ場を提供してしまう役回りとなってしまうのです。

 ただ正直、このレースに関してだけは春の二冠とは違う、と見ています。
 レースラップが41,5-37,4-36,7-35,5=2,30,9で、テンからかなり流れて中盤の緩みも最小限、レースそのものの仕掛けは、後半が12,0-11,5-11,8であるように少し遅いものの、それでもビワハヤヒデ以降の馬は先頭から少し離れていて、3コーナーからのロングスパートになっていますので、超ハイレベルの総合力勝負、という見立てが正着だと思っています。

 その中で、コーナーで少し後ろを待っていた皐月賞とは違い、明確に自分から強気に動いて押し切る意識を持った騎乗でしたし、それを目標に最高に立ち回ってきた事、枠の有利不利があったにせよ、それでもこのビワハヤヒデを差し切ったトウカイテイオーが掛け値なく強かった事は疑いのない事です。
 この展開で3着以下が大きく引き離されている事からもそれは明白ですし、トウカイテイオーの列伝の時も書きましたけど、有馬記念史上でも相当に高いレベルに入る一戦だったと私は思っています。

 多分このレースが、唯一ビワハヤヒデが力負けしたレースではないか、と思いますし、それでも皐月ダービーほどではないにせよ展開面のバイアスは相手に優位だった事を思えば、本当に運がない馬、という表現も出来ますね。
 一年通じて安定した成績が評価され、この年の年度代表馬に選ばれたのだけが慰めだったでしょうが、それでも本当の意味で王者となるべく、ビワハヤヒデの古馬シーズンはやはり反骨からのスタートとなりました。


★京都記念~宝塚記念 <王者の完成、来た見た勝った>


 その意気込みの表れのように、一線級の馬としてはビワハヤヒデの古馬シーズンの始動は早く、残雪残る阪神競馬場での京都記念からとなります。
 本来この日は、共同通信杯に出走するナリタブライアンとの同日兄弟重賞制覇が期待されていたのですが、生憎関東圏は雪で順延となってしまい、こちらも稍重表記とは言え、見た目以上にタフな馬場でのレースとなりました。

 真ん中の枠からいいスタートを決めたビワハヤヒデは、そのまま逃げるルーブルアクトをぴったりとマーク、3~4コーナーで前にプレッシャーをかけて馬体を並べていき、直線もほぼ馬なりで交わすと、後は軽く気合をつけるだけでみるみる後続に差をつけての大楽勝でした。
 ラップが37,4-26,0-36,4-37,0=2,16,8で、レース走破としてはややスローバランスなのですが、それはビワハヤヒデが強すぎただけで、2着以降には平均からややハイペースくらいの内容だったと言えます。
 その流れで後半、12,5-11,7-11,8-12,5-12,7とコーナーからかなりの早仕掛けを主導し、前も後ろも一緒くたに潰して、ラストは流してこれなので、力のいる馬場に対する抜群の適性は改めて文句なしですし、59kgを背負ってもいるので、強い、の一言しかないですね。


 続く阪神での天皇賞・春は、ビワハヤヒデのあまりの強さに恐れをなしたか、春の古馬頂上決戦としては寂しい11頭立てでのレースになります。
 その大外枠から普段通りの番手でレースを進めたビワハヤヒデは、直線入り口で先頭に立つものの、そこで外から一気に出し抜きを測らんとナリタタイシンが襲い掛かってきます。
 一瞬は外の勢いが目立ったのですが、しかしそこはビワハヤヒデ、ラスト200mからまたグイっと伸びて、最後まで寄せ付けない着差以上の完勝で、見事に春の盾も至極あっさりと獲得してみせたのです。

 この日の馬場は稍重で、3勝クラスの1400mが1,23,5なのでそこそこはタフ、その中でのラップが64,1-77,1-61,4=3,22,6という推移ですね。
 馬場もあってか全体的にかなりゆったりと流れて、でも後半もそこまで速いラップは踏めない所はあり、ラストは12,1-12,5-11,9-12,3になっています。

 実はこのレースは、結構舐めプしてるというか、3~4コーナーである程度ルーブルアクトにプレッシャーはかけつつも、直線手前の4コーナーで一息入れて、12,5-11,9と結構な加速地点を作っているのですよね。
 その結果、そこで一気に捲ってきたナリタタイシンに一瞬加速性能と切れ味の差で肉薄されたものの、最後は持久力の違いで振り切った、というレースになっていて、正直京都記念のようにコーナー中間で先頭に立つくらいでいけばもっと楽勝だったと思います。
 が、そこは、4歳春とは違い、長丁場で重馬場なら、後ろも切れる脚は使えない、だから余力残しでも勝てる、という冷徹な算段があってなのかなとは思いますし、このレースは文字通り、これ以上ないおいでおいで、という内容ではあると感じますね。



 続く宝塚記念でも、ビワハヤヒデの王者の行進を阻める馬は当然のようにいませんでした。
 それでも一泡ふかさんと、伏兵陣がハイペースを演出して必死にリズムを狂わそうとしますが、それならそれで序盤は4~5番手、そこから前がばててきたところで自然に早め早めに取りついていき、コーナー中間で先頭に立つと、そのまま全く後続を寄せ付けない傍若無人のレースぶりで、2,11,2のレコードのおまけつきでまたまた圧勝してみせたのです。

 ラップは34,8-24,6-36,8-35,0=2,11,2で、かなり前半が速く、その分中盤は少し緩むのですが、その時にペースに合わせず自分のリズムで上がっていき、前の仕掛けも誘発して、後半は12,1-11,6-11,6-11,8と持続力特化展開にしています。
 このラップで先に抜け出し、坂地点でもまだ11秒台なのですから後ろが差を詰められるはずもなく、また当日の阪神は大して軽い馬場ではなかったのに、それでもあっさりレコード勝ちと、追走面での不安は改めて微塵もない所を披露、高速決着にも対応して、憎たらしいくらいに強い王者の完成形を見せつけた格好ですね。

 この時点で、弟のナリタブライアンはダービーを圧勝して二冠達成しており、ビワハヤヒデを負かすとしたら弟しかいない、とは衆目の一致するところでした。
 それだけこの春シーズンのビワハヤヒデの走りは完璧そのものでしたし、だからこそより一層、超ハイレベルの兄弟決戦が心待ちにされたのですが…………。


★オールカマー~天皇賞・秋 <兵どもが、夢の跡>


 秋の始動戦は、定量のGⅢだったオールカマーとなりました。
 ここには、夏の高松宮杯を一叩きしてきた宿敵・ウイニングチケットが久々の挑戦状をたたきつけてきたものの、しかしこの時点ではもう積み上げた実績も、そして絶対能力も大きな差が出来てしまっていました。

 レースはロイスアンドロイスが逃げての超スロー、それをビワハヤヒデが向こう正面からつついていって後半のロングスパートに持ち込み、直線で楽に抜け出すと、真後ろにつけていたウイニングチケットを歯牙にもかけず振り切っての完勝でした。
 ラップが63,7-12,2-58,6=2,14,5で、他のレースを見ても秋の中山らしく時計はそこそこ出ていますので、その中で超後半特化の、今で言うと高速持久力戦に近い推移なのではないか、と思います。

 ラストは11,5-11,7-11,8-11,6-12,0なのではっきり5Fに分散されていますし、ただ正直馬場と前半ラップを考えると、流したとはいえラスト12,0は微妙にらしくはない、というイメージはありますね。
 無論前哨戦だったのはあるでしょうけど、ウイニングチケットという馬もこういうロンスパで良さが出るタイプではないのは皐月賞で見ての通りなので、それ相手にこの着差といいうのは、春ほどの凄味がない、というのは確かだろうと思います。
 実際のところ、この年は猛暑で夏負けもあり、春に3走走る中で少しずつでも細化していいた馬体を回復させられなかったらしく、このオールカマーと、次走の秋天での470kgは、共にデビュー以来の最低体重だったあたりから、このシーズンのビワハヤヒデが調子を落としていた、というのは、ラップ的観点からも頷ける所です。


 そして、運命の秋の天皇賞がやってきました。
 2000mを走るのは久々になるものの、それでも今年の完璧すぎる戦績と、府中2000mで有利な内枠を引いたビワハヤヒデは、当然のように圧倒的な一番人気に支持されてのレースになります。
 スタートも良く、前のネーハイシーザーをマークする形で3番手追走、直線も少し外目に持ち出して、後は伸びるだけ、といういつものレースぶりに見えました。

 しかしその数瞬後、この馬に絶大の信頼を置いていたファンが目の当たりにしたのは、坂の上りで思うように走れずに喘ぐ、無残な絶対王者の姿だったのです。
 最後の最後、坂を上ってからはジリっと差を詰めてきたものの、それでも前の馬も止まらずに掲示板に乗るのがやっと、デビューから続けてきた連対記録が15でストップすると同時に、レース後馬場で岡部Jが下馬し、暗澹たる空気が漂います。
 そして数日後、屈腱炎の発症と引退が発表され、翌週に菊花賞で兄のレコードを更新して圧勝したナリタブライアンとの最強馬対決は夢幻に終わってしまったのです。

 このレースでのビワハヤヒデの敗因は、当時から色々な角度で検証されていたと思います。
 レース直後に岡部Jが下馬した事から、レース中に既に屈腱炎を発症していて、馬自身が無理をしなかったという考え方、また上でも書いたように、シンプルに体調そのものも良くなかったという考え方、時計勝負のスローペースが合わなかったという考え方、どれも要因としてある程度正しさはあるだろうと感じます。

 ただ、ラップ的観点から言うと、正直私は、きちんとこのレースを検証するまで、怪我の影響以上に、シンプルに切れ味勝負で足りなかっただろう、と思っていたんですよね。
 しかしいざこのレースのラップを見てみると、ハーフで取ると60,6-58,0=1,58,6で確かに超スローなのですが、3分割にすると37,4-46,6-34,9なのです。
 つまりこのレースは、最序盤だけ遅くて、そこから後半7Fはずっと速い、という、近年の超高速府中のトレンドを先取りしたようなラップになっていて、4~10F目まで11,5~11,8の間に収まる、波の少ない一貫ラップではあるのです。

 確かにビワハヤヒデという馬は、おそらく最大瞬間のトップスピードは大したものを持っていなかったと感じます。
 レースで確認できる限り、この馬の最速ラップは若葉Sのラストの11,3までですし、ある程度分散した中でもう一段鋭く、というパターンもほとんど見受けられず、軽い馬場よりはタフな馬場の方が間違いなく強かった馬ではあるでしょう。
 ただ逆に言えば、エンジンがかかってスピードに乗った状態からは中々バテないのが最大の強みで、それは高速馬場であろうと変わらず、菊花賞や宝塚記念の勝ち方からも、11,5程度を連発するのは問題ないのは見て取れます。

 それを踏まえれば、やっぱりこの秋天、このラップであのポジショニングで、全く勝ち負けにも絡めなかったというのは、状態面が普通ではなかった、というのを裏打ちしているのかなとは思います。
 かつずっと手前で仮説として出しておいた、左回り&府中の特有の坂が苦手説もある程度有力なのでは、とは思えて、特にこのレース、レースラップとして加速していない、この馬自身ブレーキを踏んでいるわけでもないのに、坂地点で一気に下がってしまっているのがはっきり見て取れますからね。
 この時代は左回りのコースが府中と中京だけしかなく、かつ中京は基本トップホースが走る競馬場ではなかったので、あまり右左の回りの適性、という観点は重要視されなかった気もしますが、この馬は相対的に右回りの方が得意だった、というイメージは持っていいのかもしれません。


★終わりに

 おまけとはなりますし、月並みですが、最後に私なりの、もしナリタブライアンとの対決が実現していたら?のifを考えてみましょう。

 正直なところ、列伝でまだ取り上げていないのもあり、ナリタブライアン、という馬の凄味を完璧に把握できているかは微妙なところもあるのですが、両者ともに共通している武器として、追走力の高さと、持続・持久力の高さは挙げられます。
 馬場差があるから一概には言えないにせよ、三冠レースの内容も、皐月賞を除けばほぼ互角と言っていいですし、着差や勝敗に関しては世代レベルもありますからね。
 正直ここは、93世代と94世代では、キンカメ世代とディープ世代くらいの差はあるかな、と思いますし、ナリタブライアンが圧勝続きだったからと言ってそれをそのまま鵜呑みには出来ないでしょう。

 その上で、ナリタブライアンは軽い馬場で質的な切れが問われても普通にやれたので、その点は間違いなくこちらが上、逆にタフな馬場でどこまでもバテないスタミナとポテンシャルはビワハヤヒデの方がちょっと上ではないか、と思います。
 アイルトンシンボリ比較なら、宝塚記念でのビワとの差が0,8、有馬記念でのナリタブライアンとの差が1,0ですからやはりそこまで大きな差はなく、馬場とコース次第、という面は強く出てきますね。
 立ち回りそのものは圧倒的にビワに軍配が上がりますし、その操縦性と機動力を存分に生かせるコースで、かつタフな馬場になればビワハヤヒデ、少し軽い馬場になればナリタブライアン、というのが私の率直なイメージです。少なくとも府中ならナリタブライアンの圧勝でしょう。

 ともあれ、条件次第では全盛期ナリタブライアン相手でも互角に戦えるだけのポテンシャルは見せていた馬だけに、GⅠ3勝はやはり取りこぼしたレースが多かった、というイメージにはなりますし、もっとその能力を評価されていい馬でしょう。
 正直こういう馬が凱旋門賞を狙うべきなのかなぁ、とも思いますし、それでいてマイル以下の距離でも普通に強いという万能性も有していたのですから、本当に突然変異的な強さだったと感じます。
 ただ逆に、時代が瞬発力全盛期になる直前に現役生活を送れた、というのはこの馬としては恵まれた要素のはずで、それでも本当に凄い馬だった事は疑いの余地はありません。

 惜しむらくはその才能が全く産駒には伝わらなかった事ですね。
 結局重賞勝ち馬は出せず、今では精々サンエムエックスが京都2400mのレコードホルダーとして名を残すのみですし、御三家全盛期で繁殖に恵まれなかった面はあるにしても残念な限りです。
 ナリタブライアンの早世もあり、名牝パシフィカスの血がほとんど今の時代に生き残っていないのも、時代がノーザン系からサンデー系へ移り替わる過渡期の波に飲まれた、とも言えそうで、せめてその強さだけでも語り継がれていって欲しいですね。


posted by clover at 14:24| Comment(6) | 名馬列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その頃はまだ産まれてもなかったですけど、ナリタブライアンとビワハヤヒデの対決を見てみたかったです。

確かに歴代の三冠馬は同期に恵まれてる印象を受けますね。実力だけでは無く"運"も試される。三冠馬はやはり特別な存在ですね。

今年もコントレイルが三冠馬になる権利を持ってますが、サリオス、そしてアドマイヤビルゴといいライバルが手強いのがどうなるか.........
実力なら三冠馬になってもおかしくないとは思ってるんですけど。母系やあまりの反応の良さから距離は心配ですけど。
Posted by Claire at 2020年04月30日 21:16
お疲れ様です。

自分はこの頃はまだ競馬を知らなかったです。

ナリタブライアンなんかも名前こそ知っていたものの現役時代はほとんど興味がなく、後に動画で見た程度です。

その程度の知識の持ち主なので名馬列伝で様々な名馬を取り上げていただけることが嬉しいと同時に、なぜ当時競馬に向き合っていなかったのか…と悔しく思います。

これからもcloverさんの名馬列伝に期待しています。

そして余談ですが、武豊ってこの頃からトップジョッキーだったんですね!

【継続は力なり】ってのが凄くて、トップジョッキーの地位を何十年も継続していることがレジェンドたる所以ですかね?

Posted by hetare at 2020年05月01日 09:57
>claire様

 いつもコメントありがとうございますー。

 2頭の対決はオールドファンにとっては本当に大きな未練なんですよねぇ。
 ナリタブライアン自身も翌年故障してからは並の馬になってしまいましたし、あの年の有馬記念くらいしか2頭がベストの状態でぶつかれるチャンスはなかったでしょう。
 ビワハヤヒデがあのレースにいたら、ツインターボの大逃げはあっても、ビワハヤヒデがある程度積極的に追いかけて、またガラッと後続のレースプランも違ったでしょうしね。

 実際のところ、それなりのライバル相手に鎬を削りつつ三冠を取ったのはシンザンくらいで、やはり世代で図抜けた力を持っていないと、消長激しいクラシックを全て網羅する、というのは簡単ではないのでしょうね。
 勿論歴代三冠馬は、どの時代に生まれようとチャンピオンホースだったのは間違いないですけれど、三冠で燃え尽きず後々まで活躍し続けるところまで考えれば、運を持っていた、と評するのも妥当ではないかと感じます。

 コントレイルにとっては、少なくともサリオスがいる時点で、ナリタブライアン・ディープインパクト・オルフェーヴルよりは世代レベルには恵まれていないのは確かでしょうね。
 アドマイヤビルゴが京都新聞杯で強烈な勝ち方をして、本番でも3強に近いオッズになるようなら、競馬そのものとしては更に盛り上がるのですけどね。
Posted by clover at 2020年05月01日 15:57
>hetare様

 いつもコメントありがとうございますー。

 私は丁度ビワハヤヒデのひとつ上の世代から競馬観戦が趣味になったのですけど、当時はまだ子供でしたから、見ていたと言っても浅い形で、改めて振り返ると発見が沢山あって面白いです。

 当時はこの世代ではナリタタイシンを応援してましたねー。やっぱりミーハーには、ああいう派手な追い込み馬が強く見えるものです。。。
 実は基本的にビワハヤヒデは、当時のオンリーワン御贔屓馬のライスシャワーをいつも完膚なきまでに叩きのめしてくれていたので嫌いでした(笑)。
 そういう当時の気分も一緒に蘇ってくるので、これからも自分がリアルタイムで見た事のある90年代の名馬は、積極的に取り上げていこうと思っています。

 まぁ武Jは率直に努力する天才ですからね。
 この1993年の時点ではデビュー7年目ですけど、この時点で通算の勝ち鞍は650を超えてましたし、獲得したGⅠタイトルも数知れず、デビュー3年目の時点で全国リーディング獲得など、もう絶対に今の時代では無理でしょう。
 ちなみに今年のデビュー7年目世代って、松若・石川Jあたりですからね。

 それだけの活躍でしたから当然やっかみも多かったでしょうし(アイドルの嫁をゲットしたのも含めて)、そういう心ない外野の声も、全て実力と結果で捻じ伏せていったからこそ、第一人者、と呼ばれるに相応しい存在になったのでしょう。
 私くらいから競馬を見ている世代としては、ベクトルはどうあれ、武J抜きの競馬なんて考えられないですし、一日でも長くトップジョッキーでいて欲しいですね。
Posted by clover at 2020年05月01日 16:14
スポナビ時代から拝読しております。わたしもビワハヤヒデ1年前のレッツゴーターキン天皇賞(秋)から子供でしたが競馬観戦をはじめており主様とほぼ同時期に感動しての初コメントです。ビワハヤヒデ&ナリタブライアンは大好きでしたので名馬列伝とてもよかったです。予想と回顧も毎回楽しみにしておりますので引き続きどうぞよろしくお願いいたします
Posted by B4O at 2020年05月06日 00:23
>B4O様

 コメントありがとうございますー。

 私も競馬観戦始めた頃はまだ小学生でしたから、おそらく同年代ですね。
 当時は競馬ブームだったとはいえ、子供の趣味としてはちょっとませているのも確かでしたし、あの段階で目覚めるきっかけがあったのは、私の人生の中で幸運だったと思います。
 当然まだ今の情報化社会など影も形もなかった頃で、得られる情報もほぼテレビか書籍・雑誌くらいなので、記憶自体は斑ではありますけど、それでも印象深いレースは今でもはっきり覚えていますね。

 いずれナリタブライアンも列伝を書ければ、と思います。
 これからもよろしくお願いいたします。
Posted by clover at 2020年05月06日 03:51
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